理系女子(リケジョ)
理系女子とかリケジョという言葉を、最近よく聞くようになった。
古株で現役の一「理系女子」として、言葉に違和感はあるが最大限がまんして、徒然なるままに書き散らしてみよう。
理系と言うことで言えば、小学生の頃の私の愛読書は図鑑で、遊びは化石・鉱物・植物・昆虫採集。小学校5年生で親に懇願して(大人用の)顕微鏡を買ってもらい、中学2年生で小遣いを貯めて本格的な天体望遠鏡を買った。何でそうなったかわからないし、それが普通だと思っていた。
幼稚園か小学校1年のとき、家にあった雑誌に星雲や小宇宙(銀河)の写真があって、異様な興味を感じたのを覚えている。小学校1年の夏休み前、学校の廊下にカラーの星雲の写真があったのを強烈に覚えている。物心ついた頃には、もうそっち系になっていたようだ。
小学校4年で京都市内に引っ越してから、父親が「子供の科学」を毎月買ってきてくれるようになった。私は喜んで熟読したが、1歳下の弟は興味を示さなかった。
中学になって、天文ガイド、天文年鑑、岩波新書、ブルーバックス、サイエンス、他自然科学に関する本を乱読した。全天恒星図を買ったときはうれしくて、毎晩寝る前に1時間以上見ていた。今思い出しても胸がどきどきする。中学、高校の部活動は地学クラブだった。ここには私と同じような人たちがいて楽しかった。
小学校6年の時、将来なりたいものとして小説家、詩人、科学者、お花の先生、画家、ピアニスト等々、10以上作文に書いたら、先生が「多すぎる」とコメントを書いてくださった。(先生はきっと優しく笑っておられたと思う)
高校3年生になると、いやでも進路を意識することになり、「理系」とういう選択をした。それ以外は考えられなかった。「物理学科」がある大学をいくつか受験し、近畿大学だけから合格通知をいただいた。
期待して入学した近畿大学理工学部数学物理学科物理コースは、期待以上のところだった。女子は2人だけだったが、クラスそのものが地学クラブのような違和感のなさ、居心地の良さだった。変人扱いされることもなかった。(しかし、クラス全体が他の学科から変人扱いされていた。)ある意味、マイノリティ中のマイノリティといえるだろう。
自分の居場所は理系しかないと確信し、就職も技術職一本でがんばった。ソフトウェアの技術者は文系出身の人が急増したが、理系のものにしか出来ないこともあることを知った。理系で生きていくために、技術士の資格も取った。技術士会には同じような人がたくさんおられて、近大に入学したときのような安心感、居心地の良さを感じる。本当に技術士になってよかった。
私などは、理念的に言えば「理系の超タカ派」かもしれない。最近、自分の子供の頃からの言動が、ずいぶん「普通」からかけ離れたものであったと思うようになってきた。摩擦も多かった。言いたいこともたくさんあるが、謝らなければならないことはそれ以上にある。私がこれまでやってきたことが、誰かの役に立つのであれば、それはとてもいいことだと思う。とてつもなく広い宇宙で、ほんの一瞬存在する人間として、同じ仲間の幸せに貢献できることは、これからもたくさんあると思う。