就職・進路

2012年8月23日 (木)

理系女子(リケジョ)

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理系女子とかリケジョという言葉を、最近よく聞くようになった。
古株で現役の一「理系女子」として、言葉に違和感はあるが最大限がまんして、徒然なるままに書き散らしてみよう。

理系と言うことで言えば、小学生の頃の私の愛読書は図鑑で、遊びは化石・鉱物・植物・昆虫採集。小学校5年生で親に懇願して(大人用の)顕微鏡を買ってもらい、中学2年生で小遣いを貯めて本格的な天体望遠鏡を買った。何でそうなったかわからないし、それが普通だと思っていた。

幼稚園か小学校1年のとき、家にあった雑誌に星雲や小宇宙(銀河)の写真があって、異様な興味を感じたのを覚えている。小学校1年の夏休み前、学校の廊下にカラーの星雲の写真があったのを強烈に覚えている。物心ついた頃には、もうそっち系になっていたようだ。

小学校4年で京都市内に引っ越してから、父親が「子供の科学」を毎月買ってきてくれるようになった。私は喜んで熟読したが、1歳下の弟は興味を示さなかった。
中学になって、天文ガイド、天文年鑑、岩波新書、ブルーバックス、サイエンス、他自然科学に関する本を乱読した。全天恒星図を買ったときはうれしくて、毎晩寝る前に1時間以上見ていた。今思い出しても胸がどきどきする。中学、高校の部活動は地学クラブだった。ここには私と同じような人たちがいて楽しかった。

小学校6年の時、将来なりたいものとして小説家、詩人、科学者、お花の先生、画家、ピアニスト等々、10以上作文に書いたら、先生が「多すぎる」とコメントを書いてくださった。(先生はきっと優しく笑っておられたと思う)

高校3年生になると、いやでも進路を意識することになり、「理系」とういう選択をした。それ以外は考えられなかった。「物理学科」がある大学をいくつか受験し、近畿大学だけから合格通知をいただいた。
期待して入学した近畿大学理工学部数学物理学科物理コースは、期待以上のところだった。女子は2人だけだったが、クラスそのものが地学クラブのような違和感のなさ、居心地の良さだった。変人扱いされることもなかった。(しかし、クラス全体が他の学科から変人扱いされていた。)ある意味、マイノリティ中のマイノリティといえるだろう。

自分の居場所は理系しかないと確信し、就職も技術職一本でがんばった。ソフトウェアの技術者は文系出身の人が急増したが、理系のものにしか出来ないこともあることを知った。理系で生きていくために、技術士の資格も取った。技術士会には同じような人がたくさんおられて、近大に入学したときのような安心感、居心地の良さを感じる。本当に技術士になってよかった。

私などは、理念的に言えば「理系の超タカ派」かもしれない。最近、自分の子供の頃からの言動が、ずいぶん「普通」からかけ離れたものであったと思うようになってきた。摩擦も多かった。言いたいこともたくさんあるが、謝らなければならないことはそれ以上にある。私がこれまでやってきたことが、誰かの役に立つのであれば、それはとてもいいことだと思う。とてつもなく広い宇宙で、ほんの一瞬存在する人間として、同じ仲間の幸せに貢献できることは、これからもたくさんあると思う。

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2007年10月19日 (金)

就職と適職

 世の中には数え切れないくらいの職業があるけれど、さて何になる?という決断を下すときは、意外とあっけないのかも知れない。
私の場合はそうだった。
数学物理学科にいたが、数学はどちらかというと苦手で物理は文句なしに面白かった。
したがって、進路も高校理科の教員かハードウェア技術者と決めていたが、今から思えば何の努力もしていなかった。
 ところが、卒業まであと1ヶ月となって一気に現実路線に傾いた。
ソフト会社に履歴書を送って、そこの技術者になると決まるまで1週間ほどだった。
私は唯一のコンピュータの授業である「数値計算法」で、フローチャートがどうしても書けず課題を提出しなかった。
そのくせに、自分勝手にいろいろ思いついたプログラムを夢中になって作っていた。
それでも成績は「可」で単位をいただいた。
土壇場で、新聞の「電算室要員」の求人広告と、夢中になってプログラムを作ったことが結びついたのだ。
 会社に入って勉強して資格も取り、独立して実績もつくったが、未だになぜか違和感と後ろめたさが消えない。
コンピュータの専門教育を受けていない、という弱みがふと脳裏をかすめることがある。
一方で、ソフトウェアはまさに天職だと思っている。
システム設計やプログラミングはとても楽しい作業だ。
いろんなところでコンピュータやC言語の講義をするのも、楽しくてしょうがないので適職だと思う。
だから、今の職業に行き当たって本当にラッキーだったと思っている。
 だれにも適職と言えるものがいくつかあるはずだ。
人生の早いうちに、そのうちのどれか一つに行き当たることができれば、それは大変な幸運だと思う。
若い人たちが、学校でいろんな可能性にふれることができたら、意外な適職を見つける機会も増えるはずだ。
卒業して適職が見つからなくても、一人の人間として尊重される世の中であってほしい。
自分の意志をしっかりもって、自分の居場所をみつけてほしい。

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